【体験記】エレベーターに箱を持って乗る仕事【存在しないはずの求人】

この記事ではエレベーターに箱を持って乗る仕事の体験談をご紹介します。

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目次

スタッフの体験談

体験談と書かれた画像

社外秘/複数名聞き取り採録

この仕事は、段ボール箱を所定の事務所で計量し、指定のビルのエレベーターに持ち込んで、指定階まで昇降して戻ってくる——それだけだ。

ルールは少ない。箱は開けない。鏡は直視しない。

ボタンに存在しない階が点灯しても押さない。異常が起きたら“報告”だけをする。

最初は、退屈な軽作業に見える。だが、秤(はかり)の数字は嘘をつかず、沈黙が最初に破れるのはいつも箱の方だ。

記録①「0.3kgのはずが」—入社1か月・K

初任務の箱は、規定どおり三十センチ角、封は二重。

計量は0.31kg。

軽い。

深夜、無人のロビー。

エレベーターに乗り込むと、表示盤は「1→2→3」と上がるはずが、「B1→B2→B3」をゆっくり潜っていった。

機械のうなりが低くなり、鼓膜の奥で水が押すような圧がかかる。

扉が開く。

そこはコンクリートむき出しの小部屋。

中央に、白い直方体の台座。

置く、戻る、降りる——それだけ、と上司に言われている。私は箱をそっと置いた。

台座の下で、コツ、と乾いた音がした。

反射的に振り返ると、エレベーター内の鏡に自分の後ろ姿が映り、私の肩越しに“何か”の指が見えた。

三本しかない細い指。

目を逸らし、扉を閉め、上昇。ロビーに戻った。

再計量。

0.31kg——数字は変わらない。

だが、箱の底面だけが湿っている。

指で触れると、しょっぱい。

報告フォームの「異常なし」にチェックを入れた。

翌朝、エレベーターの表示がふと気になって携帯の写真を見返すと、撮影した覚えのないコマが一枚混ざっていた。

薄暗い小部屋、白い台座、そして空の台座の上で、見えない何かが微かに沈む影。

撮ったのは、誰だ。

記録②「13の向こう」—入社2年・M

三案件目で、やっと“重い箱”が回ってきた。持ち上げた瞬間、紐が掌に食い込み、肋骨の下まで重みが刺さる。

計量は4.20kg。

数字を写してから、ビルへ向かう。

表示盤はいつも通りに上昇。

しかし、11の次に「13」が点いた。

うちのエレベーターに13はない。

あるのは12とPH(屋上)だけだ。

チャイムが鳴る。扉は、勝手に開いた。

そこは機械室に似ていた。

金属の風が唸り、床の防振ゴムがわずかに震えている。

奥の床に白いチョークで円が描かれ、中心に□の印。箱は“置け”と言っている。

だが、蓋越しにカサリと鳴った。

私は護符の入ったポケットを握り、指示どおり無言で□の中心に箱を置いた。

瞬間、床がほんの少し沈み、私の影の輪郭がズレた。

戻る途中、鏡が遅れて私を追ってきた。

半拍遅れで口角が上がり、笑っていた。扉が閉まる瞬間、

鏡の私が何かを囁いた——耳には届かないが、唇の動きだけは読めた。

「く・だ・さ・い」。

再計量は、—0.12kgと表示された。

マイナス。

秤が壊れたのか、と上司に報告すると、返信は短かった。

「記録して保管。箱は通常返却」その夜から、うちのマンションのエレベーターが12から一度だけ「13」に止まるようになった。

誰も乗ってこないのに、人の息だけが増える。

記録③「開けたのは、誰」—退職届を残したA

あの日の箱の封は、ほんの少し緩んでいた。

ビニールテープの端が、紙魚のように剥けている。

私は見なかったことにし、二重にテープを巻き直した——つもりだった。

指定時間、指定ビル。

乗り合わせはない。

扉が閉まり、箱が膝に食い込む。

5の次に、表示盤は記号になった。

▽▽▽。

耳が詰まり、心臓が鞄の中で暴れる。

扉が開く。

教室ほどの広さ。

壁一面に古い刷毛(はけ)で塗られた白。

中央の台座に近づくと、箱が微かに熱を帯び、内側で紙が擦れる音がした。

「返して」

どこからか声。幼い声。

男か女か分からない。

私は台座に箱を置き、背を向けた。

その瞬間、蓋の縁から薄い写真が一枚、スッと滑り出た。

落ちる前に、反射で掴んでしまった。

——私が写っていた。今と同じ制服、同じ髪型、同じ箱。

私の背後に、エレベーターの鏡。

鏡の中に“もう一人の私”がいて、口を縫い合わせられ、目の穴が黒く塗りつぶされていた。

指先の感触が急に冷たくなり、手から写真が消えた。床には落ちていない。

慌てて戻ると、表示盤は最初から何も点いていない。鏡の私が先に動き、口を解いて笑った。歯は多すぎた。

携帯が震える。

社用の専用番号。

出るな、が規定だ。だが、私は出た。

「扉が開いても降りるな。上を見ろ」

女の声。聞いたことがない。

指示に従って天井を仰ぐ。点検口が数ミリ、開いていた。

そこから、小さな手がぬっと出てきた。

爪が薄く割れ、白い紙片を掴んでいる。

紙片は、切手。古い記念切手。

落ちた切手を踏まないように後ずさると、扉が開いた。

私は降りなかった。扉は、何度も、しつこく、開閉を繰り返した。

翌朝、封を巻いたテープの端が、三度、外に折り返されていた。

“誰かが内側から押した”みたいに。

私は退職届を出した。受理はされなかった。

配属が“回収課”に書き換えられて戻ってきた。

記録④「音」—設備担当・匿名

設備管理として同行した日の記録を、個人の責任で残す。

エレベーターの制御盤に、存在しないログが残っている。

「03:33:33」「滞留」。

階数欄は空白。

かご内マイクの波形を後で解析したら、人の声域より少し低い帯域で一定の「トトト…」という舌打ちに似た音が続き、その間にだけ重量センサーが0.3kg刻みで上がったり下がったりしていた。

同行の作業員が降りて戻るまでの12分間、私は外の現場でかごの上を覗いていた。点検口はロック。

誰もいない。

ただ、かごが戻ってきた瞬間、点検口の縁に灰色の“繊維”が一本、絡んでいた。

髪かもしれないし、紙の繊維かもしれない。

顕微鏡で見ようとしたら、消えた。

その日の夜、自宅の古い柱時計が三時三十三分で止まったまま動かない。

秒針だけが、進む音を真似している。

記録⑤「秤」—計量係・S

計量表の数字は合っている。

だが、秤の表示は正しさの形をしているだけだ。

ある箱は、持ち上げた時には空気のように軽いのに、秤に載せた瞬間、針が一瞬で“444g”に跳ね上がる。

別の日には“666g”で止まる。誰かが悪戯をしているのかと思って秤を交換した。結果は同じ。

箱を降ろすと、秤の皿だけが微かに温かい。

アルコールで拭くと、指先に塩の感触。

私の仕事は、数字を書くことと、封が開いていないか確認すること。

箱の蓋に耳を当ててはいけない、と規則にある。

一度だけ、当ててしまった。微かな「読む声」がした。

誰かが童話を、逆さに読んでいるようだった。

それ以降、夜になると、我が家のエレベーター(五階建ての安い団地に、そんなものはないはずだ)が、廊下の端で開閉を繰り返す音がする。

ドアを開けると、何もない。

音だけが、続く。

記録⑥「規定外対応」—回収課・T

開封済みの箱を“回収”する案件。

箱は重く、底が硬い。

手袋越しに、木箱の角の感触。紙の段ボールではない。

ビルのエレベーターに乗り、扉が閉まる。

表示盤は黒。ボタンは発光しないが、上下だけが薄青く点いた。

上下に揺さぶられる感覚のあと、扉が開き、廊下が続く。

蛍光灯が一列に並び、一本ごとに点いては消える。

廊下の突き当たりに古い秤がぽつんとあり、上に置け、と示している。置く。

針は、0を通り過ぎ、反時計回りに回って止まった。

回収対象の箱は、空だった。空であることが、規定外だ。

戻ろうとしたとき、背後で重い蓋の閉まる音がした。

振り返ると、私が置いたはずの“空箱”が閉まり、封が巻かれている。

封の端には、私の名字の一文字が書かれていた。

私は触らずに戻った。

報告書には「対象、消失」とだけ書いた。

上は何も訊かなかった。

私の封書受取棚に、知らない切手が一枚、毎朝差さるようになった。

誰が置くのか分からない。柄は、エレベーターの鏡。

終わりに

最後にと書かれた画像

箱の中身を誰も知らない、ということになっている。

だが、全員が“何か”を見ている。

秤の数字で見た者、鏡越しの遅延で見た者、点検口の隙間で見た者、写真の紙背で見た者。

共通しているのは、見てしまった側の時間が、半歩遅れるということだ。

影が遅れ、呼吸が遅れ、エレベーターの扉が違うリズムで開閉する。

業務は単純だ。持つ、乗る、降りる、記録する。

異常が起こったら、——報告する。

それだけ守っていれば、だいたいは無事に帰ってこられる。

ただし、エレベーターに乗り込む瞬間、鏡の中のあなたが先に動いたら、その日はやめた方がいい。

その時点で、扉の向こうの“階”は、もうこちらと一致していない。

次の箱の伝票に、あなたの名字が書かれていても驚かないでほしい。

梱包の外側にある文字は、だいたい、誰かが内側から押し返してきた跡だから。

封を増やし、テープを重ね、秤に載せ、エレベーターに乗る。

——きちんと“戻ってこられた”人たちは皆、同じことを言う。

「箱の中は、空です。重さだけが、詰まっていました」

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